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ブリストル シカモア(Bristol Type 171 Sycamore)は、英国で最初に設計され、英国空軍に就役したヘリコプターである。本機はブリストル飛行機により製造され捜索救難、対潜戦に使用された。 この機の名称は回転しながら落果するシカモアの木の実の''セイヨウカジカエデ''に由来する。 ==設計と開発== ブリストル社は、1944年の連合国軍のノルマンディー上陸作戦の後でビューリー(Beaulieu)にある空挺実験研究所(Airborne Forces Experimental Establishment、AFEE)の技術者を活用できるようになり、自社内にヘリコプター部門を設立した。AFEEはヘリコプター技術の先駆者であるラウル・ハフナーの下でヘリコプターの開発を進めていたが、ノルマンディー上陸作戦でのエアスピード ホルサとゼネラル・エアクラフト ハミルカーの軍用グライダーの成功によりAFEEでのヘリコプター研究に優先度が与えられた。 シカモアの設計は1944年6月に始まり、2年以上に渡り特に機械部品の耐久性に重点を置かれて行われた。450 hpのプラット・アンド・ホイットニー社製ワスプ・ジュニア エンジン(ブリストル社には適当な手持ちのエンジンが無かった)を装備した試作機VL958は1947年7月27日に初飛行を行った。550 hpのアルヴィス レオニデス エンジン(このエンジンがシカモアの量産機の標準エンジンとなった)を搭載した試作機シカモアMk.2は1948年夏に完成した。 Mk.3Aまでのシカモアは左座席に操縦士と右座席に副操縦士という通常の2座席航空機の配置であったが、主量産型であるMk.4は右座席に操縦士が座る米国の標準方式に変更された。初期型からの改良点は幾つかあり4枚扉はMk.4では標準となった。この型はH.R.14として英国空軍に就役した。 民間用モデルにはシカモアという名称は用いられず、簡単にブリストル 171という名称で知られた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブリストル シカモア」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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